テキスト見本

書評、映画、時々コンピュータです。北欧の端っこで高校生が更新してます。

【怪文章】極度乾燥(しなさい)、或いはその言語的異化作用について

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ブランドロゴ

文章への導入

日本にいたときは制服のある男子校に通っていた僕は同級生の私服を見るという機会があまりなかった。そのためこちらに来て学校に私服で通うという制度に少しなじみ切れていない気もする。まあ自分は着るものにかなり無頓着な性格であるため、学校に来ていくものも自ずから似通った、とうか全く同じものを着ている。ジーンズとシャツとセーターとパーカーと冬にはダウン。機能性は抜群であり個人的に黄金比だと思っている。

出発前はファッションなんてファの無声音化したVの部分すら知らなかった僕が、北欧の現地高校なんて言う字面からしておしゃれなところに行って浮きやせんかと思っていた。しかし今学校で周りを見渡してみると、学校に凝った格好をしてきている人はあまり見かけず、毎日同じ服装で登校している人も少なくないので、どうやら杞憂であったらしい。
とはいえ、やはり服装に気を使っている人も一定数いるので、そういう人たちが来ているブランドにも少し興味がわく。数多のブランド名の中でどうしても気になるものがある。Superdry. 極度乾燥(しなさい) である。

その人気

ネットでこのブランドについて調べてみると、英国初のブランドであることが判明する。どうやらこのブランド名はアサヒビールの有名商標にインスパイアされて名付けられた様である。欧州やアジアなど世界40か国に進出を果たし、事実近所のショッピングモールにて専門店を見かけた。しかし日本には進出を果たしておらず、国内での知名度は定かではない。

素直に日本語としてとらえてみる

本来欧州で展開しているこのブランド。極度乾燥(しなさい)というこの奇妙な文字列は、日本語を母語とする我々に充てられた言葉ではありえない。しかし、このブランド名は僕にとって非常に奇妙に映ると同時に、少しだけではあるが魅力を覚える。少し言語的な側面からのアプローチを試みる。

辞書を引くと「乾燥する」という言葉には三つの意味がある。一つに水抜けて乾くこと。二に何かを乾かすということ。三に面白みに欠けるということ。ここでの意味は二での用法であると推察できる。しかしそもそもの「乾く」いった言葉にはどういう意味があるのか。乾くといった言葉には水分が抜けるという意味以外にも「感情や生気が感じられなくなる」という意味があるらしい。つまり「乾燥しなさい」という言葉に主語や目的語を補った形で書き直すと「あなたがあなた自身を乾燥しなさい」となる。

ここからは主観であるのだが、「乾燥する」という言葉には目の前の事象をあるがまま記述するというか、突き放すような姿勢を感じる。科学的なレポートというか、そういった冷徹さを感じさせる。またその乾燥という言葉に(しなさい)という敬語的な柔らかい表現を添えることで、その言葉としての硬さがより強調され、またそのちぐはぐさが違和感をもたらす。もしこれが「極度に乾燥せよ」や「できるだけ乾きましょう」であったらならそこから受ける印象は全く別のものになる。

機械的翻訳がもたらすシニシズム

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もしSuperdryを正確に訳すとするなら、それは「乾いた人間になろう」となるであろう。この言葉にはベタベタした人間関係なんかより、合理的で無駄の少ない快適生活」を望む、ある種のシニカルさが垣間見える。Superdryという英文だけでもその意図は十分に伝わるかもしれない。しかしサブカル的イメージのある日本語を添えることで、そのブランドとしての特異性を強調しようとしたのであろう。

ブランドの創設者が日本語を母語としていないことは明らかである。しかし彼がほんのアクセントとしてくっつけた、おそらく機械翻訳で作り出したであろうこの「極度乾燥(しなさい)」という文章は、図らずも英文であるSuperdryがもつコンセプトを体現してしまっているように感じる。

人の手によらないおかしな翻訳が、「乾燥」という語彙の持つ冷徹な印象を最大限引き出しているという意味において、この翻訳は一つの正解ではないかと考えられる。